京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

静かに過ごす祇園祭2020

 京都では昔から弘法さんの日がお天気なら天神さんは雨。弘法さんが雨降りなら天神さんはお天気になる。天候は五日違いで変わり目にあたるという意味を示す言葉があります。そんな言葉を無視するかのように今年は本当に雨が多く水害も多かった。

 本当であれば、宵山山鉾巡行など華やかに行っていたところなんですが、コロナウィルスの影響で神事(神さん事)のみとなりました。6月下旬頃になるとそわそわした感じになる町も今年は静かでした。

伝統というのは続いていかないと大きさに関わらず途絶えてしまうかもしれない。

その危機感は祇園祭ですら、あります。

(自分たちの代でやめたら、後で何を言われるかわからへん)だからこそ続けてきた。なんていうのは半分冗談な話ですが、代々下京,中京の町なかに住み続けてきた者は神にとりつかれたように美意識に拘るところがあったりします。

 

 三島由紀夫は日本の美意識について、「世阿弥がこれを『花』と呼んだ時、われわれが花を一理念の比喩と解することは妥当ではない。それはまさに目に見えるもの、手にふれられるもの、色彩も匂いもあるもの、つまり『花』に他ならないのである」と能を例に説明しています。

日本の美は概念化を拒絶したものでもあります。普遍から個へと向かって方法論を作らず、実践知、体験のみに探求を重ねてきたものです。

祇園祭もまさにそうで、伝統と美意識は一体であると私は思います。

京都人の感覚と教育について

コロナウィルス対策の為、すっかり自宅にいる事が多いのが当たり前になったこの頃。

こういう状況のせいか、教師となった高校時代の同級生と交流するようになり、彼女とオンラインで話すうちに教育、育てるとは何かという話になりました。

 

「グローバルな人材育成」や「青少年の健全な育成」だとかこういうフレーズが跋扈しているせいか私は育てるという言葉に違和感を持ってしまう。自分自身を持て余し扱いあぐねている大人に“育てる”という偉そうな事ができるのか?

大人が実は自分が内側に抱え込んだもがきやあがきを埋め合わせる為だけではないかと思ってしまいます。育てるより「育った」じっくり時間をかけて大人になれるのが京都で、教えられはするけど、最後は育っていく。職人の街でもある京都はこんなところにも関係しているといえます。

 

 以前の記事にも取り上げたこの状況下でどさくさに紛れて9月入学、義務教育機関における留年・飛び級の暴論もそうです。彼女曰く賛成している教師は義務教育の意味をわかってないか教師としての適性能力がないと手厳しい。(先送り決定のニュースが流れてますが引き続き監視は必要)

 現状を破壊すれば理想に近づいたり、自分の思うがままになると思っている幼稚な人間が増えているという事なのかもしれません。合理的と思う人も中にはいるかもしれませんが人を使う、選ぶという事は翻って自分が他人に使われ、選ばれる事でもあります。「あなたはもう不要、存在価値はない」そんな社会を受け入れるのか?

合理的な事ばかりやお金だけではないものがあり、それを忘れた社会に品位はありません。

彼女曰く、空っぽな人間、人間もどきを社会に出したくない。なかなか言い得て妙なものです。合理性や損か得ばかり考えている人間。不安であるがゆえにそれに向かうのはわからないでもありませんが、「うちはうち、他所は他所」今の時代ほどこれが重く響いていると思います。

 

 子供や若い世代が勝手に自然に育っていく。しかし残念ながらそういう場所が本当に少ない。大人達の視線に守られ、時には鍛えられたりもする。しかし安心・安全に過剰なまでに気を遣いより監視の目が強くなる。極端に目立つ事を恐れ、横並びの状態になり孤立する事を恐れる。

出る杭は打たれるではなく、出る杭は伸ばしてあげる。京都はこれからもそういう都市であってほしいと思います。

日本人の季節感と9月入学問題

 新型コロナウィルスの影響ですっかり季節を感じる事ができなくなっているこの頃。

9月入学という愚かな案が世間を賑わせています。

私は大学が4月、9月の入学から選択できる形であれば別に反対はしません。

ただし、全てを一律に9月スタートにするという事に関しては大反対です。

もし推し進めてしまえば、2ヵ月以上の休みとなり、家庭負担の増大やただでさえコロナウィルスの影響が出ている社会や子供、親は耐えられませんし、移行するのには数兆円規模のコストがかかる。そんな事をするぐらいならオンライン授業の環境整備を全国で行い(当然予算は国が出す事)、学校に行けるようになった地域から再開すれば良いだけの話です。

小中高においてはメリットは全くなく、デメリットだけしかないと言っていいでしょう。(教員となった高校時代の同級生も論外と答えていたのも納得)

 

私が最も違和感を持ったのがグローバルスタンダードだからという意見です。

各国の小中高の入学時期を調べてみますと、

主要国ではアメリカは7月入学、9月はイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、中国、インドネシアベトナムetc 8月は北欧諸国、スイス、台湾。1月はシンガポール、マレーシア、南アフリカ、2月はオーストラリア、ニュージーランド、ブラジル。3月は韓国、アルゼンチン、ペルー、チリ 4月は日本、インド、パキスタン5月はタイ。10月はエジプト等、見事にバラバラで9月入学が国際標準というのは大ウソだというのがわかります。

 

 日本が言うグローバルは愚ローバルに過ぎないというのがこれでわかると思います。

要は真剣に考えていない。どさくさに紛れてこの際変えてしまえこの程度のレベルでしょう。

 イギリスの思想家マイケル・オークショットは「見知らぬものよりも慣れ親しんだものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実を、無制限なものよりも限度あるものを……、」と近代啓蒙主義、合理主義的社会改革を否定し、習慣や実践の中で得られる「実践知」が重要と強調しています。安易な見通しを持つのがいかに危険か? 改革に対する根拠なき楽観主義が蔓延している日本や世界に警鐘を鳴らす言葉と言えます。

もう一つは教育水準を上げる為という意見ですが、全体的に日本の教育水準がそもそも低いのか? 教育水準を下げているのは経済面だけを見れば緊縮政策による教育投資、文化予算の削減等が原因です。プログラミングも意味不明。英語教育重視なら私立の学校に行きますし、愚劣な某教育評論家の留年案も義務教育においては不要です。義務で留年するぐらいなら内容見直しをするべきで、飛び級なら海外の大学に行けばいいだけの話。

 

9月入学をすれば増々教育の質は劣化する事確実でしょう。

従来の制度=既得権益や旧態依然というのは単なる暴論です。

120年以上続いてきたという事は日本の季節、風土にあっているという事です。

日本人はいい加減、浅薄な改革至上主義から脱却しないと増々没落の一途を辿るだけになるでしょう。

 日本に限らずどこの国にも生活のリズムがあると私は思っていて、それが多様だからその国の文化もまた魅力である。4月の桜が咲くころに入学するというのが、日本人の季節感リズム感に浸透しており、それを無くそうという発想がどうしても理解できない。これに限らず初夏なら鮎を食べたくなるし、6月には水無月、7月には祇園祭があり粽が絶対にかかせない。季節感が薄らいでいるとはいえ、身体が自然のリズムに呼応するからこそ深みがあるのだと思います。

 

2020年

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2020年私は、25歳になる。私の感覚では人は二十歳になってすぐ大人になるのではなく、ゆっくりと大人になるのが断然良いと思っている。

これは自分が京都という土地で生まれ育ったせいもあるかもしれません。

結果を急かされず、大らかであるほうが息苦しくない。国が没落していく分、家庭や地域の取り組みやつながり(共同体)がより一層大事になっていく時代になるのだと思います。それをちゃんとやらないと柳田國男ではないけど、孤立貧になってしまう。

 

 大人というと男女の話になるわけですが、女は性について現実的な問題として否が応でも考える。胸が膨らんで生理がくるのでその機会を得ますが、男性の場合、異なる性について何一つ考える機会を持たないまま大人になってしまう。それと京都以外は武家文化が根強い為、お殿様が偉いという気分があったりして、これだと異性と向き合えるはずがない。だから女子が同世代の殿方を子供扱いしたり、年上に魅力をどうしても感じてしまうのです。それを見て自分に自信が持てない男子が増える。

 それと同じく女性が男性を見る場合、収入や学歴等を求める人のは完全に諦めた人が多いからか……。

 

 自分より下の世代に伝えたいのは私は特に高校時代にうまくいくいかない関係なく、恋愛はしておくべきだと思います。それをせずに社会に出ていきなり恋愛をすると損得ばかりで考えたりポジション取りに右往左往してしまうのではないかと思います。勉強も大事だけど友達と遊ぶ、恋愛をする事も同時に重要で先ほど申しました通りそれが仲間や地域の共同体になっていく。その地域の共同体のひとつひとつ小さな行動が障壁を乗り越えていくと思いますが、どこから手を付けていいのやら……。考えていきたいと思います。

2019年紅白を見た違和感

2019年の紅白(といっても半分も見てないですが)を見た違和感。

美空ひばりという私が生まれるとうの昔に亡くなった名歌手をAIで再現したものだという。

 楽曲そのものは決して悪いものとは私は思わないし、あの曲を他の歌手が歌ってもいい作品に仕上がるだろうと思います。確かに技術の進歩で歌声をかなりの高クオリティで再現できているのかもしれませんが、息継ぎの部分はやはり機械的で違和感しか感じず、ゆらぎという部分においても温かみがない。新曲といわれても、AIによる美空ひばりのようなものが歌っているのであって、新曲と言われている事にも違和感を覚えました。ボカロのようなものと解釈もできますが、品位や人の尊厳を感じなかった。故人を想う偲ぶというのはこういうものではないと思うし、こんな事をしてまで視聴率を稼ぎたいと思っているとしたら愚劣極まりない人達という印象を抱きました。

 生前の過去のコンサート映像を見せるのでしたら何の問題もないんでしょうけど。

 

歌舞伎などの世界では芸は一代限りなんていう言葉があります。

その人の研鑽、息遣いがあってこそ、歌や演技というのは成立すると思います。

技術的なものとしては優れているが、人間性という部分ではわたしはどうしても大きな違和感をもってしまう。これ以上はやってはいけない。この領域に足を踏み入れてはいけないという閾値からはみ出してしまっているように思えてなりませんでした。

なかなか怖い時代になってきているのだなと思います。

技術の進歩は高度な犯罪にも利用されやすいので今後法規制はされていくんでしょうけど。

 

 シンプルで心に響く竹内まりやの「いのちの歌」、椎名林檎、LiSAの熱量を感じるパフォーマンスの方が全然感動できる。

 

2020年もマイペースで月1回程度にやっていきます

ラーメンとうどん・そばの佇まいと2019年も終わり

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すっかり寒くなったので温かい話を。(写真のラーメンは「本家第一旭」)

 京都は意外と思う人もいるかもしれませんが、日本有数のラーメンの街でもあります。京料理や和菓子よりも今やぐっと身近で、ラーメン、うどん、そば屋。そしてなぜかお好み焼き屋が多い。 私の地元,下京には「本家第一旭」「新福菜館」といったお店は特に有名です。

天下一品も餃子の王将横綱も京都が発祥で、あっさりからこってりと幅広いですが、私はあっさり醤油系が好みです。醤油系以外だと木屋町にある「博多長浜ラーメン」は私の両親が生まれた頃には既にあったという豚骨ラーメン店。こってり濃厚なラーメンで有名です。

 うどん・そば屋は漢字表記のお店(例.力餅,等)庶民的なお店に行かれるとよろしいかと思います。そういったお店には、必ず、丼ものがあり、中華そば、おはぎもあります。うどんは讃岐うどんのように腰の強いものではなく、舌で切れるレベルのふにゃっとしたもの。出汁も底が見えるぐらいの薄さでこれを最後まですする。麺類はいずれも九条ネギに限る。と麺類にはいくらかこだわりがあったりします。

 

 京都人がなぜラーメンやうどん、そば好きなのか? 京都は職人の街でもあり、作業の合間の食事に手をかけず、手軽にさっさと食べられるものが好まれる。これはパンに関しても同様です。おっとりとみられるけど、実はいらち(短気,せっかち)なところもあるので、この条件にぴったりと合うのがラーメン、うどん、そばなのです。

特にラーメンは京都の伝統と革新の革新を担う食と言えるのかもしれません。

 

 2019年もまもなく終わる。今年は元号が平成から令和に改元され、新時代の幕開けとなりました。同時に祇園祭創始1150周年という記念すべき一年であった一方、悲しい事件、困難を極める出来事も起こりました。

 2019年に24になりましたが、24歳という年齢はMr.Children桜井和寿氏が「innocent world」を書いたのと同じ年齢なんだそうです。(平成ヒット曲史参照)

 息苦しい、困難な時代ですが、自分の身近な人、物を大切にして生きていきたいものです。

 

そう「切ないが、前へ進む」

京都はなぜ、古都ではないのか?

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京都はよく、「千年の都」だとかメディアを中心に「古都」とよく言われます。

何も今も都であるという中華思想云々という話をするのではなく、京都が古都だというのは住む人間からすれば真っ赤な嘘で、本当に古いといえるものはあまり残されていない。

 

 室町時代以前のものは応仁の乱でさっぱり焼き払われてしまい、その後再建されたものも、法華の乱や大火、禁門の変に合い、むしろずっと残ってるほうが珍しいくらいなのです。なので〇〇の跡という石碑があるばっかり。歴史都市フランスのパリの趣きは、十九世紀半ばオスマンによるパリ大改造、第二次大戦後のド・ゴール政権下、アンドレ・マルローによる建物の大掛かりな煤落しによるものとよく似ている。石造りの街で十七世紀の建物がそのまま残るパリと比べ、京都には本当に古いものは少なく、戦災を免れたおかげで、(洛外では一部空襲はあったものの)明治、大正時代の建物が残っているから古いと感じだけなのかもしれません。それが固定概念として「古都」という言葉が使われているんだと思います。全国に先駆けて明治期に作られた洋館と町家の歴史はほぼ同じで、町家の保存、再生が声高に言われ始めたのは地価が下がっていた時期であり、マンションが市内に林立し始めたのと同時期なのです。

(ここ数年はまた地価が上がっているけれど)

 

我々京都市民に目を向けてみてもそうです。京都人ほどの新しいもん、アバンギャルド好きは珍しい。いや、それらに滅法弱い。景観が大事と言われながら、変てこなビル建築を許したり、ぎんぎらぎんなモノも好む。歴史都市や観光都市と言われても、京都市民の多くは歴史意識も宗教意識も薄い。祇園や洛中の一部の佇まいの変化のなさによってその意識を持つのが難しいのかもしれません。

 大阪、神戸、東京といった各都市にはその時代の顔的なものが存在するかもしれませんが、京都はいつもうんざりするくらいに「古都」と言われ、そこに暮らす人々を置き去りにしてしまう。都市は観光客や施政者の為に(所有するのは形式上は施政者ですが)あるのではなく、そこに暮らす市民のものである。

 だから没歴史性を持つ京都ではこの前の戦争といったら、応仁の乱なんていう話がまことしやかにあるのかもしれません。(※応仁の乱以降も法華の乱や禁門の変と町が丸焼けになった戦はあったのでこれは間違いですが…)