京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

さよなら、2017年。都市と風、街

2017年も間もなく終わる。ルーティンのように四季は繰り返されるが、相変わらず世界は渋滞ばかりしている幹線道路のようにゴタゴタしているけど、京の町なかで暮らしている私は、そんな事はどこ吹く風といった感じでマイペースに生きている。

今年の五月頃、mstdnPawooを始め、気が付けば日本全国多くの方々と交流させていただいている。この場を借りて感謝を申し上げる次第です。

 

しかし、同時に現代、ネット社会は皮肉にも社会をより内向きにしているのではないかと思ったりもする。妙なものである。これだけ便利なツールなのにだ。遠くの誰とも繋がる事ができるネット社会。だけど、本当に世界は広がっているのだろうか?

かつて明治の頃、琵琶湖疎水建設で京都を衰退から救った一人、伊東忠太は当時、欧米一辺倒だった知識人とは違い、中国、インド、トルコ、エジプトといった国も巡り視野を広げたという。物事を遠くから見る事は大事だなと歴史に教えられる。当時、ネットはおろか、電話もなく、交通の便もまだまだ未発達の時代です。この遠心性の思考は見事であり、今の日本に足りないものだなと思う。

 

今の時代、安心安全を過剰に追及している為か、都市や私達が生きる社会は隙間というものがなくなってきている。スマホを持たずに遠出すればより世界は広がるのだろうかなんて思ったりもする。

社会と世界にどうやって隙間を空ければ面白い事になるだろうか……。

 

東京で思った事

 

今年、二度出張で東京にやってきた。私が出張で東京を訪れた際、東京は田舎者の集まりだという度し難い、京都中華思想は置いておくとして(人口の7割以上は地方出身者だから事実ではあるが)同時に東京は京都の犠牲になった都市だなと思うことがある。

 江戸の破壊の限りを尽くして生まれた東京は古くから住む江戸東京人という都市生活者を同様に苦しませた部分もあるのだろうと思う。今は東京を破壊してTOKYOになろうとしている。都市は違う意味で今も空襲を受けているのだ。

 高層マンションやビルが増え、3,4階ぐらいになれば室内はほとんど丸見え。中を覗かれてしまう。高速道路や、モノレールがそこを通る。覗かれない為にブラインドやカーテンを下す。外気に触れることができなくなる。それにコンクリートの塊や乗り物が落ちてくる可能性もある場所に住み仕事をするのは中々大変だなと思う。これは何も東京だけの問題ではないが……。

そんな時、私は親の影響か、細野晴臣松本隆というシティ・ボーイがそのまま大人になったはっぴいえんどの「風街ろまん」の世界を思い出す。(父の話によると当時はまだ知る人ぞ知るバンドだったとか)思い出話というよりも、日本人本来の都市の価値観はプロセスは違うものの、この両氏の都市観と京都人の都市観と通ずるものがあるように思う。細野晴臣氏は自身のエッセイで、高層ビルが嫌いと公言している。威圧するように建つ高層マンションやビルは高いだけで品よくみせていても品がない。私の住む京の町なかも高層マンションやホテルが増えて現実は猥雑ででたらめだ。それは都市が生きている証拠でもあるが、同時に地域の文化を破壊するリスクもある。ここに私は都市観の共通項を見出したのです。そんな息苦しさも覚えつつ私は、東京の街を歩く。渋谷では無邪気に歩く高校生カップルに下校時刻の私を重ねてみたり、可愛い約束を思いだしてみたり……都市はノスタルジーを抱え込む。水の反映と同じように自分史への反映、自己投影は何も音楽や文学に限らない。京都に帰る前、神保町のカフェで過ごした。渋谷、原宿、代官山、青山といったレベルの低そうな街とは違い、古書店が多いということもあり、ここは知性を感じさせる。敢えて他の場所を挙げるなら、文京区界隈か。絶滅危惧種となった江戸東京人。同じ都市生活者として敬意を表すべき部分もあると思った。