京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

水無月

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今月私は23歳になった。

十代というものが一つ歳を重ねるごとに遠くなっていく。年齢を重ねるごとに年齢というものは単なる数字記号に過ぎないと思うことがある。

 

京美人に年齢は関係なくても、京おんなというものは年齢を重ねていかないと京おんなにはならないと私は思う。

 京おんなというのはわたし的に趣が深くお坊さんの説教よりもキリッとしている。それでいて、思い切りがよく我慢強くしっかりしている。悲しみの中でも凛と背筋を伸ばしている大人な生き物といっていいでしょう。その分、『軽さ』というものがない為、人を褒めたりすることが少ない。私も祖母や母に褒められた事は多くはないのです。

 

小学生の頃、掃除の時間があったと思いますが、バケツに入った水を一滴も溢さずに廊下を歩くのにも日頃の立ち居振る舞いがものを言う。そんな事を言われたのを思い出す。

私の小学生時代はいいものではなかったが、「あんまりホントの事を言うもんと違う」なんて事を言った部分だけは京おんなの“それ”かもしれない。

顔やスタイルが良かろうと悪かろうと、ここ(心)がちゃんとしてないとあかん……。

それを教えられたのだと思う。だから私は、人に向かって「〇す」だとか「ブス」とか「ク〇」とか言ったことはない。

 

人生は夢のごとき。気楽に背伸びせずに地に足を付けて私はいきたいと思う。