京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

祇園祭を終えて

 7月、京都は祇園祭の季節。祇園祭にはじまり、祇園祭で終わる月です。

 

 社会に出てから少し距離が生まれてしまいましたが、祇園囃子を聴くと頭からつま先までこの音色、血統が流れているのだと気づかされます。

 灯りと祇園囃子の連続、先に行くほどそれはよりいっそう染み渡るもので、毎年7月幼い頃から見続けてきた当たり前の景色は、歳を重ねれば重ねていくほど誇りになっていく。

 私の先祖も祇園祭が危機だった頃は質素倹約で乗り切ったからか、特別贅沢しようという気も実はなかったりする。内側から見る京都は観光客のそれとは違い、生活というものを質素でもいいからただそれを地に足を付けて生きていきたいという思いぐらいしかない。

 

 祇園祭は時々、葵祭と同様だと思うが、他の地域の方から金持ちの道楽だとか、毎年同じだとか揶揄される(酷いものだと子どもだけに伝統を押し付けている云々)

さらに、今年は地震や豪雨の事を考えて山鉾巡行を中止せよというクレーマーの電話まであった。平安を祈り災厄を払う為の祭なのだからだからこそやるべきで、こういった方には見に来てもらわなくて結構ですし、関わってもらおうとも私は思わない。

しかし、実際には苦労の連続だ。長刀鉾の稚児さん(伝統にお金の話を持ち込む趣味はないのでここでは触れない)はもちろん、毎年準備するのは大変な事です。(特に今年は猛暑でしたので……)それに一旦この地域を離れると、なかなか帰ってこない。

 

 この祇園祭が行われる山鉾町は住民がゼロの地域もある。そういったところは元住民(ほとんどが洛外から)や銀行、企業が協力して支えている。

山鉾町によっては代々住み続けてきた人達と新住民が一緒になって山や鉾を動かすところもある。これも十数年前から増えたマンション住民と代々下京、中京に住み続けてきた住民が対話を重ね、長い時間をかけて築き上げてきたところもある。華やかな都の祭りもその内懐に様々な問題を抱えているのだ。

 

大変な事ばかりの祇園祭だが、今年は嬉しいニュースもあった。中京区三条通室町の鷹山が2022年に巡行に復帰する事が決定!約200年ぶりの復活です。祇園祭が元の姿に戻るまであと一歩というところまできました。残りは布袋山だけです。ここもなんとか復活してほしいところです。

 

 祇園祭を支えるのは町衆の誇りとプライドだけではなく美意識にあると思っている。この美意識は我々町衆だけでなく、祭を訪れる人々にもあるものだ。その美意識が崩れない限り祇園祭は大丈夫だと思っている。戦争や大火もそうだし、ビルだらけになっても危機を乗り越えてきたのだから。

 祖父母亡き今、私にはひとつの夢がある。それは子供と一緒にこの祭りを支え受け継ぐということだ。いつか山鉾巡行に息子を参加させたいと思っている。

そんな一片の空想を浮かべていると、かつて幼い頃の私が祖母に抱っこされ、都大路を進む山鉾を見たのを思い出す。

 

来年は祇園祭1150周年となります。次の7月、またお会いしましょう。