京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

京都人のいけずとは何か?

よく他の地域の方から京都人は"いけず"だ、付き合うのが難しいと言われる。

中には陰湿だとか性格が悪いといった的外れな意見も多々ありますが、このイケズについて説明したいと思います。

 いけずとは簡単に言うと、自分で自分の身を守る弱い者の自衛手段あるということです。

京都は応仁の乱の足利、織田、豊臣、江戸時代の徳川幕府薩長同盟といった他所さんが荒らし、時に戦場となりその度に町衆は家を焼かれ潰されてきた。(私の先祖もそうです)京都人の武士嫌いはここからくる。町衆の血筋の私もその意識があるせいか、時代劇や大河ドラマを一度も見た事がない。公家、町衆の二つの階級で成り立っていた京都ですが、所司代町奉行は少数精鋭で権限が大きい割には人員は少なかった。京都は武士の影が薄い都市だったのです。なので、他の地域で武士に対する愛着が強く、郷土の英雄といえば武士。これが日本人多数派だとすると、京都人は思わぬところで日本人の少数派になってしまうなと思います。

 時の支配者に付くと次代では家が滅びる。権力者には従わざるを得ないが、近づき過ぎるのも良くない。京都人が付かず離れずなのはこの為です。身に染みているから外部からやってきた者には一定の距離を取り内側を見せたりはしない。町衆のお屋敷が掘で囲われ中が見えなくしてあるのも故なき事ではないわけです。

 ぶぶ漬けの話も作り話で、多くの人は家には上がらず玄関口で立ち話をするだけで、招待でもされない限り家に上がりこんで食事はしない。仮に家に上がっていて夕食を出されなくても失礼には当たらない。土地が強いる悲しい性といえますが、臆病者というよりは細心にならざるを得ないのです。

 碁盤の目に町衆や職人が人口密度の濃い中で生活をする。そのなかでお互いの間でも深入りはしないという文化を築いてきた。呆れられるかもしれませんが、家の前の水撒きや掃除も隣の家の前までやればお節介になるし、自分の家の前だけだとケチという事になる。その為、10センチか20センチぐらいだけお隣さんとの境を越えて行う。これが長い共栄の知恵なのです。せせこましい話ではありますが、やる人は随分減っています。

 それと、京都は10代以上住まないと京都人にはなれないと言われます。しかし、これも真っ赤な嘘で十代以上住んでいる京都人なんて町衆でも少数派ですし、そんなのは下京から上京の和菓子屋や呉服屋さんのごく一部だけなのです。例えば室町の呉服商には近江商人をルーツに持つ人もおられますし、下京の町衆には伊勢にルーツを持つ人もいる。西陣の職人さんは丹後、丹波、北陸にルーツを持ち、大阪、奈良、滋賀等から嫁いできた人もいる。京都学派と言われた名大学教授もノーベル賞受賞者も他の地域出身が多い。京都の支配層はほとんど地方からやってきた人ばかりで、その人々がしのぎを削る場所が京都という都市のひとつの側面です。なので、京都に三代住むと誰でも京都人として扱われてしまうという言い方が正しいのかもしれません。そして京都は相互理解と助け合いがある。その為、時に内側に閉じてしまう事もある。それが一見さんお断りの風習です。しかし、仲間の紹介があれば一見さんでも深く受け入れてくれ細部を知る事ができるのもまた京都なのです。

 ただ単に余所者に厳しいだけではありません。それをよくわかっていない京都人もまた多かったりしますが…