京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

令和の幕開け京都新時代に向けて

 5月1日平成が終わり、令和の時代がスタートした。

 

 即位の礼は今年の10月東京にて行われる。この即位の礼明治維新による東京奠都により衰退しかけた京都に旧皇室典範第11条において、「即位の礼大嘗祭は京都で行うという規定があり、昭和天皇まで即位の礼が行われていました。しかし、現在の憲法になって以降、平成も令和も東京で行われる事になり、京都御所ではお茶会が開かれるだけにとどまっています。私も最近知ったのですが、平成元年にワコール創業者の塚本氏を中心に大嘗祭だけでもと譲歩する形で京都財界、文化人を中心に誘致する運動があったそうですが、京都市民の間ですら一部でしか盛り上がらなかったのが現状だったそうです。以前、ブログ記事でも書きましたが、これは京都という都市の多義性のひとつになっている。かつて京都=王城の地だったのが、天皇、御皇室ですら、その側面のひとつにすぎないということなのかもしれません。

 そして、現在あるのは双京構想という両都制を目指す構想があります。明治維新で江戸が東京と改められ、東西両京になったものの、現在まで東京一極集中が続いているままとなっています。即位の礼大嘗祭を京都に戻すというのは警備上の問題が一番にあるわけですが、京都側の行政の対応とビジョンが不明確な点をどうするか本気で京都で行っていただきたいというのであれば、市民、府民に理解を広げ、財界だけでなく、寺社、町衆の意見も積極的に取り入れる事も必要です。

 儀典都市・京都の復活は文化庁京都移転よりも時間と労力が必要になるでしょう。

 しかし、それを行うのはまずは失いつつある都市民としての自信をもう一度見つめ直す事も大事かもしれません。

 

 2000年に京都市は四半世紀のビジョンを纏めた「京都市基本構想」を発表。以降、これに沿って具体的基本計画が設定されています。全文を「私達京都市民は~」で通してあり、簡単に説明しますと、京都市民よもっと自信を持ちましょうという内容です。私が幼少の頃に既に市民が自信を失いかけているのを各界から選出された委員の皆が認めたという事にもなります。そして京都の得意とする目利き、極み、巧み、始末の文化etcを再確認し改めて身に着けてこれまで以上に他所からやってきた人をあっと言わせたいのです。そんなに力まなくてもいいのにと思いますが、これもまた京都人のプライドなのかもしれません。

困った人達だなと呆れられるかもしれませんが…

 

 30年ほど前に京都の都市ビジョンは日本の文化首都を目指すという形が考えられ、2016年に文化庁京都移転が決定。以前の記事にも書きましたが、名ばかりの文化首都になるのではなく、伝統を守りつつ、新しい文化が躍動し、絶えず外に向かって情報発信ができる都市。

未来の京都も様々な要素を持った都市であってほしいと思います。