京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

京都はなぜ、古都ではないのか?

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京都はよく、「千年の都」だとかメディアを中心に「古都」とよく言われます。

何も今も都であるという中華思想云々という話をするのではなく、京都が古都だというのは住む人間からすれば真っ赤な嘘で、本当に古いといえるものはあまり残されていない。

 

 室町時代以前のものは応仁の乱でさっぱり焼き払われてしまい、その後再建されたものも、法華の乱や大火、禁門の変に合い、むしろずっと残ってるほうが珍しいくらいなのです。なので〇〇の跡という石碑があるばっかり。歴史都市フランスのパリの趣きは、十九世紀半ばオスマンによるパリ大改造、第二次大戦後のド・ゴール政権下、アンドレ・マルローによる建物の大掛かりな煤落しによるものとよく似ている。石造りの街で十七世紀の建物がそのまま残るパリと比べ、京都には本当に古いものは少なく、戦災を免れたおかげで、(洛外では一部空襲はあったものの)明治、大正時代の建物が残っているから古いと感じだけなのかもしれません。それが固定概念として「古都」という言葉が使われているんだと思います。全国に先駆けて明治期に作られた洋館と町家の歴史はほぼ同じで、町家の保存、再生が声高に言われ始めたのは地価が下がっていた時期であり、マンションが市内に林立し始めたのと同時期なのです。

(ここ数年はまた地価が上がっているけれど)

 

我々京都市民に目を向けてみてもそうです。京都人ほどの新しいもん、アバンギャルド好きは珍しい。いや、それらに滅法弱い。景観が大事と言われながら、変てこなビル建築を許したり、ぎんぎらぎんなモノも好む。歴史都市や観光都市と言われても、京都市民の多くは歴史意識も宗教意識も薄い。祇園や洛中の一部の佇まいの変化のなさによってその意識を持つのが難しいのかもしれません。

 大阪、神戸、東京といった各都市にはその時代の顔的なものが存在するかもしれませんが、京都はいつもうんざりするくらいに「古都」と言われ、そこに暮らす人々を置き去りにしてしまう。都市は観光客や施政者の為に(所有するのは形式上は施政者ですが)あるのではなく、そこに暮らす市民のものである。

 だから没歴史性を持つ京都ではこの前の戦争といったら、応仁の乱なんていう話がまことしやかにあるのかもしれません。(※応仁の乱以降も法華の乱や禁門の変と町が丸焼けになった戦はあったのでこれは間違いですが…)