京まち洛々記

内側から見た京都をご案内

初景色

明けましておめでとうございます。2018年がスタートしました。

今年もよろしくお願いします。

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(写真は八坂神社西楼門から四条通を望む)

お題「初詣」

1月三が日は家にこもりっきりの状態だったけど、初詣に行くことにした。私の住む京の町なかから一日乗車券を使い、市バスで祇園へとやってきた。私の家の氏神様でもある八坂神社(我々地元民は祇園さんと呼んでいる)で参拝。おみくじは実をいうと引いたことがない。ただシンプルに参拝するだけだ。滞在時間は5分程度だっただろうか?

 

 

 その後、再び市バスで移動し、ゼスト御池でちょっとお買い物。〇〇〇系統の市バスで洛北界隈へと向かう。北大路ビブレにあるお店で昼食をとり再び、〇〇〇系統の市バスで町なかへと戻ることに。冬枯れの鴨川を渡り途中、高校時代の懐かしい通りをバスは走る。 バスの窓からは冬休みだからか高校生の姿はいないけど、私は高校生だった頃を思い出す。

 

 町なかから通っていた為、市バスと地下鉄で通学していたけど、この通りも段々と遠い遠い過去になっていくのを知る。公共空間やブログ内で友達や彼、その面影を追うのは憚られる。記憶というのは油断していると、御都合主義の説明に変化する。

 説明だけの記憶はもはや記憶とは呼べないかもしれない。そこには冷めた打算が混じる十代特有の自分がいたりもするし、あり損ねた私がいるかもしれないし。記憶は自分の物語として、良くできた内容物として編みなおされる過程でもある。

高校時代の事をまた振り返ろうとすると、バスの車内は満員の状態で現実に引き戻された。

 

 

今年は明治150年という事で京都の歴史をいろいろとご紹介もしていきます。私のブログを読めばあなたが思っていた京都とは違う姿の京都を知る事ができるでしょう。

 

さよなら、2017年。都市と風、街

2017年も間もなく終わる。ルーティンのように四季は繰り返されるが、相変わらず世界は渋滞ばかりしている幹線道路のようにゴタゴタしているけど、京の町なかで暮らしている私は、そんな事はどこ吹く風といった感じでマイペースに生きている。

今年の五月頃、mstdnPawooを始め、気が付けば日本全国多くの方々と交流させていただいている。この場を借りて感謝を申し上げる次第です。

 

しかし、同時に現代、ネット社会は皮肉にも社会をより内向きにしているのではないかと思ったりもする。妙なものである。これだけ便利なツールなのにだ。遠くの誰とも繋がる事ができるネット社会。だけど、本当に世界は広がっているのだろうか?

かつて明治の頃、琵琶湖疎水建設で京都を衰退から救った一人、伊東忠太は当時、欧米一辺倒だった知識人とは違い、中国、インド、トルコ、エジプトといった国も巡り視野を広げたという。物事を遠くから見る事は大事だなと歴史に教えられる。当時、ネットはおろか、電話もなく、交通の便もまだまだ未発達の時代です。この遠心性の思考は見事であり、今の日本に足りないものだなと思う。

 

今の時代、安心安全を過剰に追及している為か、都市や私達が生きる社会は隙間というものがなくなってきている。スマホを持たずに遠出すればより世界は広がるのだろうかなんて思ったりもする。

社会と世界にどうやって隙間を空ければ面白い事になるだろうか……。

 

東京で思った事

 

今年、二度出張で東京にやってきた。私が出張で東京を訪れた際、東京は田舎者の集まりだという度し難い、京都中華思想は置いておくとして(人口の7割以上は地方出身者だから事実ではあるが)同時に東京は京都の犠牲になった都市だなと思うことがある。

 江戸の破壊の限りを尽くして生まれた東京は古くから住む江戸東京人という都市生活者を同様に苦しませた部分もあるのだろうと思う。今は東京を破壊してTOKYOになろうとしている。都市は違う意味で今も空襲を受けているのだ。

 高層マンションやビルが増え、3,4階ぐらいになれば室内はほとんど丸見え。中を覗かれてしまう。高速道路や、モノレールがそこを通る。覗かれない為にブラインドやカーテンを下す。外気に触れることができなくなる。それにコンクリートの塊や乗り物が落ちてくる可能性もある場所に住み仕事をするのは中々大変だなと思う。これは何も東京だけの問題ではないが……。

そんな時、私は親の影響か、細野晴臣松本隆というシティ・ボーイがそのまま大人になったはっぴいえんどの「風街ろまん」の世界を思い出す。(父の話によると当時はまだ知る人ぞ知るバンドだったとか)思い出話というよりも、日本人本来の都市の価値観はプロセスは違うものの、この両氏の都市観と京都人の都市観と通ずるものがあるように思う。細野晴臣氏は自身のエッセイで、高層ビルが嫌いと公言している。威圧するように建つ高層マンションやビルは高いだけで品よくみせていても品がない。私の住む京の町なかも高層マンションやホテルが増えて現実は猥雑ででたらめだ。それは都市が生きている証拠でもあるが、同時に地域の文化を破壊するリスクもある。ここに私は都市観の共通項を見出したのです。そんな息苦しさも覚えつつ私は、東京の街を歩く。渋谷では無邪気に歩く高校生カップルに下校時刻の私を重ねてみたり、可愛い約束を思いだしてみたり……都市はノスタルジーを抱え込む。水の反映と同じように自分史への反映、自己投影は何も音楽や文学に限らない。京都に帰る前、神保町のカフェで過ごした。渋谷、原宿、代官山、青山といったレベルの低そうな街とは違い、古書店が多いということもあり、ここは知性を感じさせる。敢えて他の場所を挙げるなら、文京区界隈か。絶滅危惧種となった江戸東京人。同じ都市生活者として敬意を表すべき部分もあると思った。

 

京都・永観堂の紅葉

お題「紅葉」

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#ディープな京案内のまとめです

京の町なかから市バスに揺られて11月某日、左京区にある永観堂へと私はやってきた。

相変わらず不便なすし詰め状態のバスの車内にうんざりしたが、その気分はすぐに晴れた。目にも鮮やかな紅葉が待っていたからである。

 

「秋はもみじの永観堂」で知られ、正式には禅林寺という。853年に創建し、清和天皇定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜って正式な寺院となった。

元々は藤原関雄という平安貴族の邸宅があったという。

地方や海外からやってきた観光客に混じり、私は総門をくぐる。紅葉だけでなく、松の木も立派で、春先や新緑の季節は松のこずえが鳴っているんだろうなと想像する。

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赤々と燃えるような紅葉は乾いた風と木漏れ日に揺れながら、私の心を打つ。

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それはたとえ首が痛くなっても何度も空を見上げたくなるほどの鮮やかさで、京の秋の彩りをこの目に焼き付けたかったからだ。Walkmanドビュッシーラヴェルを聴きながら、見上げるとよりその美しさが引きたてられた。

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苔の生した庭と灯籠。ここにも鮮やかに紅葉の世界が広がる。

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放生池にも紅葉が映し出される。池の景色はどこか御池の神泉苑のようだ。

「あま酒」というのは休憩処のメニューです(笑)1時間半ほど此処で過ごした。

帰りは南禅寺疎水沿いの細道を歩きたかったが観光客でごった返していたため、そのまま自宅へと戻った。京都の秋は地方、海外からの観光客だらけで大変だが、それでも私は秋という季節が一番好きなのです。

 

筆者紹介

お題「自己紹介」

 

私は1995年(平成7年)京都市下京区にて〇〇〇家(漢字か平仮名3文字かは御想像にお任せします)次女として生まれ育ちました。実の姉は9歳離れていて、既に結婚していて、子供もおります。その為最近はほとんど会っていません。

私は今も、洛中の某山鉾町で実家暮らしをしています。

小学生の頃、一時期伏見区に住んでいた事もありますが、それ以外は京都・洛中の地に住み続けているので、京都から離れた事がなく、同様に京都以外に住みたいと思ったり、他の街に憧れたり羨んだりしたこともありません。

こんな事を書くと自分は日本人少数派だなと思ったりします。

私の家は室町時代から続く町衆(まちしゅう)の家系で、非常に血の濃い京都人というわけです。

町衆とは簡単に言うと裕福な商人であり、日本最初の都市生活者(都会人)です。

今はそうではありませんが、祖父母の代まではかなり裕福な家庭だったそうです。

戦前生まれの祖母は女子大学卒でピアノも子供の頃習っていて時代背景を考えれば令嬢といえます。(当時金持ち同士の結婚だった)

私が人生で最も影響を受けたのは祖母です。ピアノやクラシックといった音楽に関心があるのは祖母の存在が大きいのは間違いありません。(昔の古いピアニストを知っているのもその為)ドビュッシーラヴェルサン=サーンスといったフランスのクラシックが特に好きです。それ以外だと、リストやショパンも好きだったりします。小学生の頃、大変だった時期もあり順風満帆とは言えない時もありましたが、その後徐々に立ち直り、好きな事をして生きて来られたと思います。

 

このブログでは私が生まれ育った京都の事を中心に書いていきます。

私は普段は単なる平凡な会社員ですので、毎日更新することはできませんが、

気まぐれに記事を書いていくので、お気軽にご覧ください。

私のブログを読むと皆様が思っていたのとは違う京都の一面を知る事ができるでしょう。